内緒と沈黙
こんばんは。
早いもので今日から3月ですね。
暖房なしで過ごせる夜は心地良いけど、冬の朝の冷たく澄んだ空気がだんだんと薄れていくのは少し寂しく感じます。
2月末に、SNSのいくつかのアカウントを削除しました。
同級生や知り合いをフォローしていたInstagram
初めてスマホを買ってもらった中3の冬から使い続けたX
その他諸々(というほど数は多くありませんが)。
今月の10日が誕生日でしてまもなく30歳を迎えるのですが、今後やってみたいことや取り入れたいことがいろいろあって、そのために少し身辺整理をして、いらないものは20代に置いていくことにしました。
ひとつ捨てるとひとつ入ってくる、という考え方が好きです。
持ち物はこの両手におさまる分だけでいいし、自分の目で見て耳で聞いて頭で記憶できるものが自分の大きさなのだと思ってます。
新しいものを取り入れ更新していくことは不可欠ですがその容量には上限があるから時々こうして断捨離と整理整頓をするのでしょう。
SNSをやめようと思い至ったのはそんな理由で、SNSを通した人付き合いに必要性を感じていないと気付いたことと、自分のこれまでの投稿は子供の頃のアルバムを見てるような、なにか大事なもののような、とても価値のあるもののように思えるけど、そういった自己愛や過去への執着を手放したら身軽になるだろうかと考えた末の実験的措置でもあります。
何か変わるといいなと期待を込めての行動ですが過去にも似たようなことを考え似たような行動をしていたなと書きながら思い出しました。きっと何も変わらないし、数年後にはまた同じようなことを繰り返すのでしょうね。
タイトルは先日十数年ぶりに再読した『冷たい密室と博士たち』より一部抜粋。
表現と温度計
名前を呼んでもらえるというのは
なんか すごく 大きな愛だなと感じるこの頃。
それが苗字だとか下の名前だとかあだ名だとかは大して重要じゃなくて
呼称されることによって存在を許されるような
私が私であることを証明してくれているような
そんな気がして 安堵するのです。
子供の頃は自分の姓名が嫌いだったけど
今は、とても気に入っている。苗字も名前も。
唯一無二で目立っておもしろくってかわいい。
呼ばれるのも好きだが呼ぶのも好きだ。
好きな人と話すときはよく呼称する。
意識的にやってるときもなくはないけど大概はもうほとんど無意識に。
それが私のでっかい愛であり最大級の表現方法なのだ。
あくまでも表現方法であり伝わってほしいと思ってるわけではないけど
少しだけ もし 同じ価値観を持っていたら嬉しい、と密やかな期待を抱く心はやっぱりそれが伝わって受け止めてもらえることを願っているのかもしれない。
呼ぶのも呼ばれるのも。
苗字でも下の名前でもあだ名でも
なんでもいい
なんでもいいのだ。
明るい夜と未定の先行き
今日も夜に歩いた。
日中髪を切ってもらったから頭が軽い。目にかかっていた前髪もさっぱりして視界良好だ。
昨日とは逆方面を散策した。いや、徘徊といったほうがニュアンスは近いか。ふつうに、まだまだぜんぜん暑いけど、べっとりまとわりつくような湿度は下がってきたように感じ、それだけでも息がしやすい。
夜道、当て所なくふらついているときに自販機を見ると、思わず足を止めてしまう。
特別のどが渇いたわけではない。好きな商品があったわけでもない。
冷たいもの飲むとお腹こわしやすいから買わないけど。今はどこもごみ箱がなくて、空き缶を持ったままずっと歩くのもいやだから買わないけど。でも、なぜか、ぼーっと眺めてしまう。
まぶしいくらいの蛍光灯に照らされるエメマンを見て「今は120円もするのかあ」と少し驚きつつ、ふと幼少期を思い出す。
生まれてから10歳まで住んだ家。集合住宅。2号棟の205号室。
たまに、夕食後に、姉や父と一緒に、近所の自販機に飲み物を買いに行った記憶。
キンキンに冷えたちょっと大きい缶の、結露が手につく感覚をなんとなく覚えている。子供の頃ポカリが好きだった記憶があるけど、ポカリの缶なんて売ってたっけ?姉と父はコーラを選んでいたような。赤と青の缶を1本ずつ持っていた気がする。
それが、なんだか、楽しい思い出だったような。
ずっと忘れていたのに、ふと、その頃着ていたTシャツとか、まだ自分より高い位置にあった姉の揺れる後ろ髪とか、駐車場の前を通る時の足音とか、夜に外に出かけるっていうワクワク感とかがよみがえってきて、夜の自販機に惹かれる理由はこれかも、と合点がいった。
好きだったな。いづみハイツ。
考えたことなかったけど、振り返ってみれば壁の質感とかにおいとか、照明の薄暗さとか、出来事以外にも覚えてることが多い。
10歳から20歳まで住んだ戸建ての家では、激激激反抗期が到来して大いに暴れた。傷つけ傷つけられの毎日だった。前の家と同じく10年住んだのにおぼえてることはほとんどないし、ここ数年は年末年始くらいは帰省するようにしているが、住み慣れた我が家という感覚はなく、正直居心地は悪い。
そんなこともあり今も家族や実家というものに苦手意識…嫌悪感…それに似たような、でもちょっと違うような言語化しがたい感情があるけども。
決して悪い思い出ばかりではなかったんだな、と少し過去を許してもいい気がした。
1時間7分、5.5km、7826歩。
春眠と白檀
2年くらい前から、春生まれの私ってなんかいいなと思っている。
誕生日は3月の上旬なのでまだ桜も咲いていなければ気候も不安定だけど。
でも、その不安定さも春の醍醐味というか、「ええーっ 昨日はダウンコートだったのに今日は半袖?!」って言いたいみたいなところもちょっとあるし。
先日ふらっと立ち寄ったフレグランスショップで、spring gardenという名の香水を買った。
柑橘類、ウッディー、スパイシー、そういう感じが好きだ。
バニラとかローズとか、甘くてフローラルな香りはちょっと苦手。
だから、名前や香調的に花束みたいな香りをイメージしてたけど、試させてもらったら思いがけずレモンの香りでスッキリ爽やか、みたいな。それから時間が経ったあとの香りの穏やかさも、とても気に入った。
でも普段あまり香水を付ける機会はないので、マニキュアのボトルみたいな、一番小さいサイズを購入した。
春も、春生まれの自分も、好きになれたことが少しうれしい。
左目と十二年の執心
好きなものを好きと言うようにした。
嫌いなものをわざわざ嫌いと言わないようにした。
振り返ればそんな一年だった。
根拠があってそうしよう!と意気込んだわけじゃないけど、なんだかそっちのほうが良さそうな気がして、意固地にならない程度に実践してみた。
好きな気持ちに蓋をして抑制的になったり嫌いなものをわざわざ喚き立てたりして他人に迷惑ばかりかけてる自分が恥ずかしくて、変わりたいと思ったからだ。
自分に対して実直に。他人に対して素直と謙虚の心を忘れずに。自他への向き合い方を変えたら随分と息がしやすくなった。
手術、引っ越し、転職。
今年はわかりやすい転機がいくつか重なりこれまでの生活や自分の価値観が少しずつ形を変えていったように感じる。
心機一転というわけではないけど、その四角く固い枠組みがぐにゃぐにゃに柔らかくなったところに、じゃあこの枠の中にあるもので自分が大切にしていきたいもの、要らないと思うもの、逆に今足りてないものは何かっていうのを改めて考えて中身を整理した。
きっとその枠組みは形も大きさもまだ定まってはいなくてこれからも変形していくだろうけど、それでいいやと最近では思う。
要不要の選択をしながら、変わり続ける人生でありたい。
アスパラガスと鯵の削り節
友人が「地獄まっしぐらだよ〜〜〜置いてかないでくれ〜〜〜〜」みたいなこと言ってたとき、私もきっと地獄行きは免れないんだろうなとこれまでの人生を振り返りながらぼんやり思った。
それから、本当に果てが地獄であったとして、その場所にこの人がいるならそれは案外悪くないかも、とも思った。
お前とおったらおもろいわな。
好奇心と飽き性

マイナンバーカードの電子証明期限が切れていたから更新のため区役所へ行ったときに近々引っ越しをする予定だと伝えたところ、これ以上は書くところがないから再発行になると言われた。
二十歳になって初めて一人暮らしをした高根木戸、フリーター期間を経て再就職を機に東京へ。目黒川の流れてるところに住みたくて、でも中目黒は家賃が高いから隣駅でシェアハウスを、その後は祐天寺周辺を転々と。
どの家も好きだったし、7年近く文通を続けている友人がいるから、何十回と書いたこれらの住所にも愛着がある。
金を払うのが癪ですっぴんでスマホで撮った顔写真は目も当てられないがこれまで住んだ家の記録が記されているこのカードを結構気に入っていたから、手元からなくなってしまうのは少しさみしい。
この8年で5回住む場所が変わってるらしい。2日後には6回目の引っ越しだ。
飽き性もそろそろ見直していかなきゃなと思いつつ、一か所に長く留まるというのがどうやら苦痛なようで引っ越し貧乏はまだしばらく続きそうである。