好奇心と飽き性


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マイナンバーカードの電子証明期限が切れていたから更新のため区役所へ行ったときに近々引っ越しをする予定だと伝えたところ、これ以上は書くところがないから再発行になると言われた。

 

二十歳になって初めて一人暮らしをした高根木戸、フリーター期間を経て再就職を機に東京へ。目黒川の流れてるところに住みたくて、でも中目黒は家賃が高いから隣駅でシェアハウスを、その後は祐天寺周辺を転々と。

どの家も好きだったし、7年近く文通を続けている友人がいるから、何十回と書いたこれらの住所にも愛着がある。

金を払うのが癪ですっぴんでスマホで撮った顔写真は目も当てられないがこれまで住んだ家の記録が記されているこのカードを結構気に入っていたから、手元からなくなってしまうのは少しさみしい。

 

この8年で5回住む場所が変わってるらしい。2日後には6回目の引っ越しだ。

飽き性もそろそろ見直していかなきゃなと思いつつ、一か所に長く留まるというのがどうやら苦痛なようで引っ越し貧乏はまだしばらく続きそうである。

 

 

 

求められるものと求めていくこと

現職の居心地の良さや収入よりパンのこともっと知りたい!!おいしいものを作りたい!!という気持ちが上回ったので求人サイトを開いた。

 

今の職場では入社から5年経ち、現場で自分が手を動かすよりは新人教育や管理業務が主になってきた。

不慣れで不得手なことはやる前からわかりきっていたがそれでも学ぶものはあるし今後の自分の糧にもなるだろうから、まったく楽しくはないがここまで続けてきた。

わからないなりにも持ち前の責任感の強さと向上心でなんだかんだそれらしい形にはなり、会社から評価されていることはここ1、2年の給与明細を見比べればその自負も芽生えてくる。

 

ただ、このままでいいのか、という疑念は常に頭の片隅には消えずにあった。

もっと技術力を磨きたい、もっと知識を蓄えたい、到底追いつけないくらい遠くにいる人のもとで経験を積みたい。

それでも今更手取り20万前後の仕事を選ぶ覚悟はなくて、まあ今の仕事だってやりがいはあるし会社からも必要とされてるし…と言い訳して自分の本当にやりたいことから目を背けてきた。

 

30歳を目前にして自分の今後を考える。

今の会社で働き続けたら人間性が成長するような気がした。

でも、今以上に製パン技術が上がることはないと断言できる。

悩んで、悩んで、悩んで。

やっぱり、私はおいしいものを作る人になりたいと思った。

それが私の人生の根源であり仕事の原動力だということを再認識し、休みの融通の利きやすさがなんだ、手取り40万超えがなんだ、私はうまいパンが作りてえんだよ〜〜〜〜〜!!!と部屋で一人躍起になり早速パソコンにむかった。

 

昨晩気になるところに片っ端から応募したその勢いのまま履歴書と職務経歴書を作成し、面接の日程のを組んで今日に至る。

あまり何事にも興味をもてないかわりまれに好奇心が湧いたときは自分でも驚くほどの行動力を発揮する。

そしてその熱量は凄まじい。

体の奥底から湧き出るこの情熱を見ないふりしてやり過ごすのはあまりに損失が大きい気がして、転職活動を始めた。

 

先のことはどうなるかわからないけど、変化を恐れず歩みを進めていく人生でありたいと強く思った。

梨と自愛

今年もまた梨が届いた。

地元千葉の特産品である。

幸水という品種が一番好きだ。果汁を多く含むみずみずしい食感と爽やかな甘さ。こぶりな外見もなんだか品の良さも感じる。私にとっての「梨」は幸水を指す。

以前に鳥取出身の知り合いに大ぶりな青梨をいただいて初めて食べた時はそのイメージとの違いに驚いた。食べ応えがありますねえとにこやかに咀嚼したが私の脳内はこれを梨と呼ぶことを拒否し、一切れ食べ終えたときにフォークを置いた。

さんざん世話になった方で恩情も敬愛もあるがこんなもので千葉の幸水に対抗しようだなんて片腹痛いわ、とこのときばかりは幻滅した。

余談に逸れたがともかく梨が好きだ。

夏の良いところは梨が食べられるところであり地元の誇れるところはおいしい梨が食べられるところだ。

私にとってはそれ以外には何もいいところがないと言っても過言ではない。

地元の馴染みの農家から買っていて、収穫される8月半ば頃に毎年送ってもらっている。

箱いっぱいの梨を見て嬉しくなって、このおいしさを誰かと共有したくなる。一人暮らしで独身なので、職場にお裾分けをすることにする。

前に働いていた店舗にも贈る。

世話になった先輩、可愛い後輩。今はもう会わない人たち。

いらないレシートの裏に暑中見舞いの文言を書いた。

元気にしてますか。私の方は元気でやっています。そんな意味を込めながら。

 

話は変わるが「ご自愛ください」という言葉の意味を知ったときに果たしてこれ以上の気づかいの言葉は存在するのだろうかと思った。それから、私の好きな人に対する感情はまさにこれだ、と心にすとんと落ちてきたその言葉がそのまましっくりそこに居座った。

それからは大切にしたい人にはなにかの折に触れて使っている。

よそよそしいと思われるかもしれない。古臭いと言われるかもしれない。

でも、それでもいいのだ。気づかれなくても別にいいのだ。

これが私の好意の表現の仕方であり見返りを求めたことはないのだから。

 

今年もまた梨を贈る。

暑い日が続きますのでどうぞご自愛くださいね。と手紙を添えて。